My Precious Life

猫とロカボと筋トレと。たまにスピリチュアル、ヨガや美容について。

天国に旅立ったネコと死者の声 vol.1

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信じる、信じない、なんてどうでもいい。

だってこれは、ただの妄想だから。

そして、書くことは私にとっての癒しだから。

 

***

私はいつから死者の声が聞こえるようになったのだろう?

その魂が強烈に私にメッセージを伝えたいとき、私の右耳からその声は聞こえる。

そう、決まって右耳から。気配はない。ただ声が右耳から脳にスーッと入ってくるイメージ。声の性別は分かる。今回はある女性からのメッセージだった。

***

 

1月30日(火)20:00。

仕事を終え帰宅した私は、玄関のドアを開けるなりいつも通り大きな声で愛猫を呼んだ。

 

「レオさーん、ただいまー!おかあにゃん帰ったよー!」

 

しかしその日は、玄関まで迎えに来るはずの猫が来ない。最近は寒いからか、お迎えをサボる日があったので、そのことは全く気にならなかった。

靴を脱ぎ、廊下をすすむと左手に寝室がある。寝室のドアは開けっぱなしだ。なぜなら愛猫がベッドの上でくつろぐだろうから。

コートも脱がず、通勤のリュックを背負ったまま寝室をのぞくと、こちらに背を向けるように猫が横たわっていた。いつもの光景だ。レオさんは昔から両手両足を投げ出して、コの字になって寝る猫だった。

 

「ちょっとー、おかあにゃん帰ったよー?」

 

そう言いながら猫の顔を覗き込むと、目も口も開けたまま、でも苦しそうな表情ではなく、まるでニャーと鳴いているような顔で息絶えたレオさんがそこにいた。

 

それから今日まで、時間の流れが恐ろしく早かった気がする。

私は何をどうして今こうやっているのか、あまり覚えていない。いや、正確にいえば、覚えていないわけではない。自分のとった行動は鮮明に覚えているのだが、なぜそのような行動をとったのか(とれたのか)がわからないのだ。

 

私はこれまで数匹ほど猫と暮らしてきた。が、実をいうと、最期を看取って、そして、火葬して骨を上げたのはレオさんが初めてだった。その他の猫は実家で飼っていて、私が上京してから亡くなったので、最期は母に任せきりだった。訃報を聞いても仕事を持っているとすぐには帰れないので、再会はいつも火葬後だった。もちろん涙は出るし、悲しい気持ちでいっぱいだったが、今回のように打ちひしがれるほどではなかった。

 

***

 

今から約6年前、10歳の時に里親募集サイトで出会った猫がレオさんである。当時、どうしてそのようなサイトを見ていたのかは全く覚えていないが、多分そろそろ猫と暮らしたかったんだと思う。実家の猫はブリーダーさんから購入した子だったが、私はできれば命を買うのではなく、消えてしまうかもしれない命を預かりたいと思っていた。

 

レオさんの飼い主さんは10歳までレオさんを大切に育てていらしたそうだが、ご病気で入院することになった。泣く泣く手放した先は自分の息子さんだったが、息子さんにはまだ幼い3人の子供がいて、そして、お嫁さんは猫が苦手だった。

 

里親募集サイトには、自分も子供も猫が苦手だし、猫もずっとソファの下に隠れていて居心地が悪そうだから、自分たちの代わりに終生かわいがってくれる里親さま募集!と書かれていた。チンチラゴールデンの10歳の男の子……高齢だからか、あまり閲覧されている様子もなく、上目遣いでこちらをうかがうような物悲しげなレオさんの画像が1枚だけ掲載されていた。

 

「10歳ということは寿命を考えてもあと5年……。もし私が引き取らなければ、この子はどうなりますか?」

 

近くの駅で実際にレオさんに会い、キャリーに入ったレオさんのお尻付近をナデナデ(というか、ツンツン、チョイチョイ)しながら私はこう尋ねた。すると、お嫁さんは本当に苦しそうな表情で、保健所みたいなところに連れていくしか……と答えた。保健所、それはつまり、この子の命がそこで終わるということだ。

 

「そうですか、わかりました。ちょっと考えて連絡します」

 

そういって別れた。3人の幼い子供も一緒に来ていて、一番上の子が無邪気にバイバーイと手を振ってくれた。私もバイバーイと手を振った。初めて乗った相鉄線の車窓からは美しい夕焼けが見えていた。誰も責められない。お母さんも息子さんもお嫁さんも、誰も悪くない。もちろんレオさんだって悪くない。そして、もし私がここで断ったとしても私が悪いわけじゃない……電車のガタゴトや流れる景色とともに、いろいろな考えが頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え、気がつくと自分のマンションに着いていた。

 

「私で良ければ、レオさんをお預かりしようと思います」

 

部屋に入ってすぐ、私はお嫁さんに電話をかけてハッキリとこう告げた。

2012年12月10日の出来事だった。